変わり者の悪あがき。

毎日を、つらつらと。

人に勧めてもらうこと

 

 

 

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どうも、つらつらです。

ブログを開設してしばらく、既に更新頻度はお通夜状態になっているのですが、そんなことは気にしてはいけないのですよ。気にしない、気にしない。うむ、それでいいのだ…、気にしない、気にしない…。

 

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( ゚д゚)

 

最近は本を読むことが増えてきたので、そのへんの事をテキトウに書こうと思います。ついでに文体も変えてみようと思います、うむ、新しいことに挑戦する事は良い事ですねぇ。

 

本を読む。

 

昔から好きな事ではあったのですが、どうも最近本を読む事への姿勢が変わってきたのです。昔は、特に小学生、中学高校ではこれは1つの道楽として楽しむことに重点を置いていたのなのですが、つまり私にとって読書とはゲームをする事やスポーツをする事と同義であって、楽しいからするものだったのです。そこに勉強だとか教養を養うとかそういうマジメな考えなんてこれっぽっちもなく、ただ面白いから読んでいただけなのですが、どうも最近は読書を学びの対象として捉えているようなのです。

 

というのも、最近は自己啓発本のようなものや文学的で高尚?なものに目を通していて、きっかけは教授の研究室に訪問するたびにさまざまなジャンルの本を勧めて頂いてくれた事で、今まで触れてこなかった本を手にすることになったからなのですが、改めて考えてみると、どうやらそれは良い事だ、とつらつらと感じているのです。

 

どういう事かと言うと、つまりは人に勧めてもらうという事は素晴らしいのだな、ということなのです。今まで自分の価値観に沿って選択し続けていた事を他人によって押し広げてもらうことは、なるほど1つの成長だなと、そう思うのです。

 

教授はこれまでの「本は道楽だ」という価値観を変えてくれたのです。その中にはたくさんの気づきや学びがあるという事を教えてくれたのです。食わず嫌いか、単に知らなかったたけなのか、私は自分が好みな本ばかりを選択していたのです。

 

もちろん、その選択は間違っておらず、むしろ自分が好きな事を理解している、という点においては素晴らしいことだと思います。しかし、定食屋でいつも同じメニューを頼むだとか、同じ曲ばかり聞き続けるとか、ある一つの出来事を否定し続けるとか、そういった自分の価値観は案外小さなきっかけで変わるんじゃないのかなと思ったりするのです。

 

たまたま友人に勧められていつもとは違うメニューを頼んでみたら、やや、これは美味しいな、とか普段は見ない音楽番組に出てる興味が無かったバンドにふと耳を傾けてみれば、うむ、意外と良いな、とか雨は濡れるから嫌いだけど、そのおかげで相合傘が出来る人がいて、彼らはきっと雨が好きなんだろうな、と誰かが言っていた、とか。

十人十色とはまさに言い得て妙で、そこでは当たり前に価値観も違うのに、どうしてそんな事に今まで気づかなかったのだろう、と考えるのです。

 

その気づきは、結局一人では出来ない事で、自分が自分に問いかけてみても自分の価値観に沿って答えを導き出すことになるのだから、そこに新しい考えなんかないのだな、と。誰かに新しい事を教えてもらって、やっと押し広げられるのだな、と。

 

なんだか、ハナシが説教くさくなってきましたが、私の中で渦巻いている「当たり前」を少しだけ疑ってみて、周りに目を向けてみれば、もっと面白いことが転がっているようです。たまには、いつも行くラーメン屋ではなくて、となりの蕎麦屋にでも行ってみようかな。