歳をとるということ。
どうも、つらつらです。
最近、少しづつ寒くなってきましたね、半袖では過ごしにくい日も増えてきていますが、みなさんいかがでしょうか。
涼しくなった日が増えたからでしょうか。なんだか、ノスタルジックな気分というか、感傷的な気持ちになる日が増えてきたような気がします。けど、僕は、そんな日が、好きなのです。独りよがりに、自分の思いに、欲望どうりに浸れるあの時間が好きなのです。
そんなとき、ふとおもいました。歳を、取りたくない、と。ホントウに、この気持ちはいつもふいに訪れるのですが、たまに、ふっ、と改めて気付くような、気づかないふりをしているような、特別な気分になるのです。
べつに、長生きしたいわけではないのです。死ぬのが怖いのではないのです。
ただ、今、このなんてことない時間が、当たり前のことが、これこそが社会の常識だ、と思っていたことが、少しづつ、色褪せていくことが悲しいのです。
そしてなにより。
それに気づいてしまう自分が怖くてしかたがないのです。どんなに小さなことでも。
あの頃は、夜が更けるまで…
あの頃は、自分の気持ちを…
あの頃は、なんでも出来た…
あの頃は…
あの頃は。
でも、分かっているのです。知っているのです。
自分の知らないところで、知らない間に、変わっていくこと。
だからといって、「だから、日々を大切に生きよう」なんて、そんな前向きな言葉を吐くほど、僕は利口じゃないし、馬鹿ではありません。
明日になれば、また、この気持ちも忘れるでしょう。そして、夜になると、また、思い出すのです。そうして人はその生を閉じていくのでしょう。それで、いいと思います。それで良いし、みんな、分かっていることなんでしょう。
なんだか、しんみりしてしまいましたね。
次は、秋らしく、「キノコを食べてみた!」なんて、YouTuberみたいな記事でも書いてみようと思います。(笑)
みなさんは、それぞれを、生きていますか?
それでは、また!( ; _ ; )/~~~
人に勧めてもらうこと
どうも、つらつらです。
ブログを開設してしばらく、既に更新頻度はお通夜状態になっているのですが、そんなことは気にしてはいけないのですよ。気にしない、気にしない。うむ、それでいいのだ…、気にしない、気にしない…。
( ゚д゚)
最近は本を読むことが増えてきたので、そのへんの事をテキトウに書こうと思います。ついでに文体も変えてみようと思います、うむ、新しいことに挑戦する事は良い事ですねぇ。
本を読む。
昔から好きな事ではあったのですが、どうも最近本を読む事への姿勢が変わってきたのです。昔は、特に小学生、中学高校ではこれは1つの道楽として楽しむことに重点を置いていたのなのですが、つまり私にとって読書とはゲームをする事やスポーツをする事と同義であって、楽しいからするものだったのです。そこに勉強だとか教養を養うとかそういうマジメな考えなんてこれっぽっちもなく、ただ面白いから読んでいただけなのですが、どうも最近は読書を学びの対象として捉えているようなのです。
というのも、最近は自己啓発本のようなものや文学的で高尚?なものに目を通していて、きっかけは教授の研究室に訪問するたびにさまざまなジャンルの本を勧めて頂いてくれた事で、今まで触れてこなかった本を手にすることになったからなのですが、改めて考えてみると、どうやらそれは良い事だ、とつらつらと感じているのです。
どういう事かと言うと、つまりは人に勧めてもらうという事は素晴らしいのだな、ということなのです。今まで自分の価値観に沿って選択し続けていた事を他人によって押し広げてもらうことは、なるほど1つの成長だなと、そう思うのです。
教授はこれまでの「本は道楽だ」という価値観を変えてくれたのです。その中にはたくさんの気づきや学びがあるという事を教えてくれたのです。食わず嫌いか、単に知らなかったたけなのか、私は自分が好みな本ばかりを選択していたのです。
もちろん、その選択は間違っておらず、むしろ自分が好きな事を理解している、という点においては素晴らしいことだと思います。しかし、定食屋でいつも同じメニューを頼むだとか、同じ曲ばかり聞き続けるとか、ある一つの出来事を否定し続けるとか、そういった自分の価値観は案外小さなきっかけで変わるんじゃないのかなと思ったりするのです。
たまたま友人に勧められていつもとは違うメニューを頼んでみたら、やや、これは美味しいな、とか普段は見ない音楽番組に出てる興味が無かったバンドにふと耳を傾けてみれば、うむ、意外と良いな、とか雨は濡れるから嫌いだけど、そのおかげで相合傘が出来る人がいて、彼らはきっと雨が好きなんだろうな、と誰かが言っていた、とか。
十人十色とはまさに言い得て妙で、そこでは当たり前に価値観も違うのに、どうしてそんな事に今まで気づかなかったのだろう、と考えるのです。
その気づきは、結局一人では出来ない事で、自分が自分に問いかけてみても自分の価値観に沿って答えを導き出すことになるのだから、そこに新しい考えなんかないのだな、と。誰かに新しい事を教えてもらって、やっと押し広げられるのだな、と。
なんだか、ハナシが説教くさくなってきましたが、私の中で渦巻いている「当たり前」を少しだけ疑ってみて、周りに目を向けてみれば、もっと面白いことが転がっているようです。たまには、いつも行くラーメン屋ではなくて、となりの蕎麦屋にでも行ってみようかな。
辛さとかの測り方
どうも、つらつらです。
先日、ひょんなことから教授に勧められて、戦後の子供、浮浪児についての本を読んだのだが、読んでいるうちに思うことがあり、どうしてもこの気持ちを書き記したくひさびさに筆をとってみた。
本の内容は、戦争で家族を失くした幼い子供たちがどのように生き抜いてきたかを本人たちにインタビューしながら書かれたものであったが、それは今の時代では到底考えられない苦労の連続であり、まさに「地獄」と表現するほかないくらいに壮絶なものだった。
わずか5歳で家族を亡くした子供は、物乞いや盗みをし、残飯を漁りながら全国を放浪した。
まだ生理も来ていない幼い少女は、握り飯1つのために春を売った。罵声を浴びせられ、非力な為になんとか集めた小銭も力のある大人や年長に殴られて盗まれた。
無賃乗車で捕まりそうになった子供は身を守るために走る電車の窓から飛び降り、車輪に巻き込まれて死んだ。
私は、彼らの体験を一言で「辛かっただろう」と表現する事はしたくない。なんの苦労もなく贅を貪っている私が彼らの想いを理解できるわけがないし、それを語る資格などはない。しかし、そのように思う中でも、読み進めているうちに感じたものがあった。
生きている中で、辛いことやしんどいこと、逃げ出したいことだらけだ。私はいつもそれに向き合うことをせずに生きている。情けないが、自分が生きていることすらにも負い目を感じることも少なくないし、そういう感情がうずまくこの体からの解放を望みながら、死んだように生を繰り返している。
そんな中、この本を読んで、本当に私は小さいことで生きているなと切に感じた。あえて表現するならば「思考のぜい肉」を持て余している。怠惰からきているこの思考回路は、戦後の彼らと比べればどんなに恥ずかしい事だろうか。生きるために生き、自分で道を切り開いてきた力強い彼らとはまったくかけ離れている。
人は人それぞれに「辛さ」を抱えているが、はたしてそれはそんなに重大なものなのだろうか。そんな考えをしていまう思考のぜい肉を持て余していないだろうか。辛さを測ることはできないけど、自らの辛さを過大評価し過ぎていないだろうか。私はこの本を読んで、私自身の問題について改めて考えなければならないとおもう。
もし、あなたが辛さを感じているのならば、「きっとこの辛さは大したものじゃない。私は強い」と、跳ね返して欲しい。浮浪児の彼らのように、強く、たくましく時代を駆けてほしい。
私、非常にテキトーな性格ですけど、たまには、こんな事も考えるんですよ笑笑
読んでくれてありがとうございます!(๑>◡<๑)
ONとOFF
どうも、つらつらです。
なんと、気がつけばブログの更新がかなりおろそかになってしまい、今日投稿するのがはたして何日ぶりなのかもわからないくらいになってしまった。実は私、GWをほぼほぼ自室で過ごす事に没頭しており、その間も一度だけ友人とバーベキューをした以外はおうちでゴロゴロしていたのだが、いやはやこれほどまでに生きるチカラがない私ははたして社会の荒波を乗りこなす事ができるのであろうか。と、しみじみ感じている今日このごろであるが、ここで改めて私のダラケた精神についてつらつらと語りたいと思う。
題名に書いてある通り、とにかく私は生活のヤル気においてのON.OFFが激しい。スイッチが入っているときは気合いがありあまって集中力があがり、たいていのことはうまくできるのだが、OFFのときはまったくもって何もできないのである。特にヤル気がないときは外に出ることそのものがおっくうに感じてしまい家で何もせずにだらだらとしてしまう。しかし、「してしまう」と書いているのはまさにこの悪習を正さなければいけないなァと感じているキモチの表れであり、例えばブログの更新が止まっただけならばそれはそれで良いのだが、じっさいには現実生活に影響を及ぼしてしまい、やらなければいけない事をとことん後回しにしてしまうのでいつも約束事がぎりぎりになってしまうのだ。
普通の人ならばスイッチがOFFの時があってもムリヤリにカラダを動かすのだろうが、私は生きるチカラのない変わり者なのだ。もうある程度はこれを受け入れてしまったほうが良いのだろう。尻すぼみになってしまうのだが、オチをつけようと頑張ってもなにも思いつかないし、そのストレスで結局ブログを公開しないなんて事になることだけは避けなければいけないので、このへんで筆を置いてすきな音楽でも聴こうと思う。
そして、こんなダラけた駄文を読んでくださっている方々、いつもホントウにありがとうございます。これからも気が向いた時にだらだらと読んで頂ければまっこと幸いであります。
まったく私は変わり者である。