辛さとかの測り方
どうも、つらつらです。
先日、ひょんなことから教授に勧められて、戦後の子供、浮浪児についての本を読んだのだが、読んでいるうちに思うことがあり、どうしてもこの気持ちを書き記したくひさびさに筆をとってみた。
本の内容は、戦争で家族を失くした幼い子供たちがどのように生き抜いてきたかを本人たちにインタビューしながら書かれたものであったが、それは今の時代では到底考えられない苦労の連続であり、まさに「地獄」と表現するほかないくらいに壮絶なものだった。
わずか5歳で家族を亡くした子供は、物乞いや盗みをし、残飯を漁りながら全国を放浪した。
まだ生理も来ていない幼い少女は、握り飯1つのために春を売った。罵声を浴びせられ、非力な為になんとか集めた小銭も力のある大人や年長に殴られて盗まれた。
無賃乗車で捕まりそうになった子供は身を守るために走る電車の窓から飛び降り、車輪に巻き込まれて死んだ。
私は、彼らの体験を一言で「辛かっただろう」と表現する事はしたくない。なんの苦労もなく贅を貪っている私が彼らの想いを理解できるわけがないし、それを語る資格などはない。しかし、そのように思う中でも、読み進めているうちに感じたものがあった。
生きている中で、辛いことやしんどいこと、逃げ出したいことだらけだ。私はいつもそれに向き合うことをせずに生きている。情けないが、自分が生きていることすらにも負い目を感じることも少なくないし、そういう感情がうずまくこの体からの解放を望みながら、死んだように生を繰り返している。
そんな中、この本を読んで、本当に私は小さいことで生きているなと切に感じた。あえて表現するならば「思考のぜい肉」を持て余している。怠惰からきているこの思考回路は、戦後の彼らと比べればどんなに恥ずかしい事だろうか。生きるために生き、自分で道を切り開いてきた力強い彼らとはまったくかけ離れている。
人は人それぞれに「辛さ」を抱えているが、はたしてそれはそんなに重大なものなのだろうか。そんな考えをしていまう思考のぜい肉を持て余していないだろうか。辛さを測ることはできないけど、自らの辛さを過大評価し過ぎていないだろうか。私はこの本を読んで、私自身の問題について改めて考えなければならないとおもう。
もし、あなたが辛さを感じているのならば、「きっとこの辛さは大したものじゃない。私は強い」と、跳ね返して欲しい。浮浪児の彼らのように、強く、たくましく時代を駆けてほしい。
私、非常にテキトーな性格ですけど、たまには、こんな事も考えるんですよ笑笑
読んでくれてありがとうございます!(๑>◡<๑)